総門前です
一休禅師の木像です
こんにちわ ラバンのつきちゃんです
2月に入って大分暖かくなってきたと思ったら今日はちょっと寒い1日になりそうですね
そろそろ花粉症対策もしないといけないし、もちろんインフルエンザ対策もしないといけないし・・・
体調管理には十分気をつけて下さいね
さて、今日の京都歳時記は一休さんでお馴染みの「酬恩庵一休寺」をご紹介したいと思います。
京田辺にある「酬恩庵一休寺」は頓知で有名な一休禅師が晩年に過ごされた所で終の棲家(寺)となった場所として知られています。
室町時代の中ごろの1456年(康正2年)63歳の時から1481年(文明13年)11月21日88歳で亡くなられるまで25年間この酬恩庵で過ごされました。
境内には重要文化財である本堂や唐門、庫裏、浴室、鐘楼等があり、一休禅師のお墓があります。
一休禅師は後小松天皇の息子ということで墓所は宮内庁が管理をしています。
後小松天皇の息子なのに一休禅師がお坊様になったのはこんな訳があったのです。
一休さんは、1394年(応永元年)正月元旦に、後小松天皇と、宮仕えしていた日野中納言の娘照子姫との間に生まれました。
本来ならば、時の天皇の子として世継ぎの地位にあったのですが、帝が照子姫をあまりにかわいがるので、それをねたむ者に落とし入れられ、照子姫は一休さんの生まれる前に宮中を出されたのでした。
そのため一休さんは、洛西嵯峨の民家で誕生しています。
一休さんが6才の頃、その将来を僧侶にと願った母の考えにより、禅宗の臨済宗安国寺(京都)の像外鑑公和尚のもとに出家したのでした。
皆様の一休さんの印象はアニメで放映されてた小坊主の姿だと思います。
しかし、この酬恩庵に残されている一休禅師の木像はかわいい小坊主の姿ではなく、晩年の姿なので戸惑う方も多いと思いますが、お話にもなっている一休さんのお寺に訪れてみてはいかがでしょうか?
一休禅師の木像です
こんにちわ ラバンのつきちゃんです
2月に入って大分暖かくなってきたと思ったら今日はちょっと寒い1日になりそうですね
そろそろ花粉症対策もしないといけないし、もちろんインフルエンザ対策もしないといけないし・・・
体調管理には十分気をつけて下さいね
さて、今日の京都歳時記は一休さんでお馴染みの「酬恩庵一休寺」をご紹介したいと思います。
京田辺にある「酬恩庵一休寺」は頓知で有名な一休禅師が晩年に過ごされた所で終の棲家(寺)となった場所として知られています。
室町時代の中ごろの1456年(康正2年)63歳の時から1481年(文明13年)11月21日88歳で亡くなられるまで25年間この酬恩庵で過ごされました。
境内には重要文化財である本堂や唐門、庫裏、浴室、鐘楼等があり、一休禅師のお墓があります。
一休禅師は後小松天皇の息子ということで墓所は宮内庁が管理をしています。
後小松天皇の息子なのに一休禅師がお坊様になったのはこんな訳があったのです。
一休さんは、1394年(応永元年)正月元旦に、後小松天皇と、宮仕えしていた日野中納言の娘照子姫との間に生まれました。
本来ならば、時の天皇の子として世継ぎの地位にあったのですが、帝が照子姫をあまりにかわいがるので、それをねたむ者に落とし入れられ、照子姫は一休さんの生まれる前に宮中を出されたのでした。
そのため一休さんは、洛西嵯峨の民家で誕生しています。
一休さんが6才の頃、その将来を僧侶にと願った母の考えにより、禅宗の臨済宗安国寺(京都)の像外鑑公和尚のもとに出家したのでした。
皆様の一休さんの印象はアニメで放映されてた小坊主の姿だと思います。
しかし、この酬恩庵に残されている一休禅師の木像はかわいい小坊主の姿ではなく、晩年の姿なので戸惑う方も多いと思いますが、お話にもなっている一休さんのお寺に訪れてみてはいかがでしょうか?
ラバン便り|洗濯代行・洗たく宅配サービスは京都のラバンデリー屋に!::京都歳時記 | 11:17 AM 2011,02,08,